すみません。こっそりと、2018年2月1日に、自分のビジネスのポジションを変更しました。どう変わったのかというと、
- 電通マクロミルインサイト チーフデジタルオフィサー
- アウトブレイン 顧問
- アビームコンサルティング 顧問
- 東京大学大学院数理科学研究科理学部数学科 客員教授
- 東京大学 数物フロンティア・リーディング大学院 教員
- 日経 xTECH Active ライター
- Newspicks ProPicker
- Yahoo! News 個人記者
- 日経 COMEO ライター
となっています。というのも、肩書を頂いているものだけで、その他にもいろいろなお仕事をさせて頂いています。
なんで、こんなことになったのかというと、実は高校生と大学生と「近未来ハイスクール」というボランティアで接していたり、さまざまな先輩と話した結果、「就社」でなはなく「就職」しようと思ったのです。
「就社」というのは、私の造語だと思いますので、私の定義を述べると、「会社に入る」ことです。なのに、このことに「就職」という言葉を当てていることが、誤解の始まりだと思うのです。自分の専門性を磨き、その専門性を活用して社会に貢献するのが「就職」で、会社に収まることではないのではないかと考えるようになったのです。
そして「近未来ハイスクール」では、子供たちに正しく「就職」して。そのためには、自分に相応しい会社ではなく、自分に相応しい仕事を探して。と、何度となく話しているうちに、自分にもその言葉が刷り込まれたようなのです。
例えば、プロ・スポーツの選手を例にしましょう。その選手の良さとチームのニーズがあえば、チームを変えますよね。このようなことが、ビジネス・パーソンの働き方であっても良いのではと思ったのです。そして、そのことをわかりやすく伝えるには私が行い、さらに今まであまり考えなかった、複数の会社との契約、複数の種類の仕事を行うことをやってみようと思ったのです。
この複数については、ある先輩からの言葉がきっかけでした。「人生100年時代、75歳まで働けるとすると、まだビジネス・パーソンの折り返し地点だけど、今後の設計できている?」。私は、「えっ」と思いました。50歳の私にとっては、ビジネス・パーソンの時間は、もうすぐ終わると思っていたのです。ところが、まだ25年残っている。だったら、再度自分の専門性を探そう。そのためには、今まで行ったことのない仕事も積極的に行おう。そう考えて、複数の種類の仕事を行うことにしたのです。
特に大きなチャレンジは、文章を書くことです。数学が好きな私に取り、文章を書くことは、重荷でした。しかし、今が折り返し地点なのであれば、これから新しい専門性を作っても良いのではないかと考えたのです。
48歳で最初の転職をしたときには、最後の転職かなと思ったのですが、とうとうサラリーマンでなくなりました。ここにきて思うのは、花王時代のある社長のお言葉です。「山は険しいけど登ってみないと、その先の景色はわからない。」本当にそうでした。
「キャリアの話をしていたら、自分のキャリアを変えてしまいました。」への1件のフィードバック